伊勢神宮(内宮)正式名「皇大神宮」
境内に入るのも、大勢で行列のように並んで、ここ見たらこちら→次こちら→今度はこちら→みたいな順路でしたので、皆さんそれぞれ自分のお参りができているのだろうか?と不思議に思いましたが、こんなことを思って周りを見ておりました。「ひとはここ(死)に辿り着き、おり返し地点(正宮)に向かって審判を仰ぎ、順路よくまた静かに門に向かって歩き門外(此の世)に流れ出す・・・」そんな絵図を思い浮かべてしまいます。


やはりご年配の方が多いからそう思うのでしょうか?酸いも甘いも知った人、やる事はやっていつ召されてもいいと思っている人、信仰深く無垢なまま生きてきた人、罪を犯し解放されてなおも生きたいと願う人、神頼みで来た人・・・いるんだろうなって、血のかよった人間ですからね。それぞれの人生に人間の面白さ素晴らしさも垣間見えるような気がします。


ここは日本の八百万の神々(やおよろずのかみがみ)の頂点に立つ天照大神(あまてらすおおみかみ)の宮、その存在の意識をもっている日本人ですからね。精神世界をグローバル的に観てもひとつの神ではないというところに素晴らしさが在るのではないかと思います。
さて、お神楽殿での一コマ、なかではお神楽の儀が礼とともに厳かに行われているようでした そこの敷地内に休憩場があり何度かシャッターを切ってみるとその中の1枚に、なにやら煙りのようなものがモワ~というかモコモコと神楽殿のあちらこちらから上がっていきました。
林さん曰く、フムムっこれは浄化していくところをうまく捕らえた一枚ですね!決していい感じがするという画像ではないでしょう?そう、人の業とか慾の塊ですね。 これは載せるべきですね。皆さんに見てもらうべきです。だれもが年に一回とか数年に一回でも、こーんなに垢が溜まるんですよーみたいにね^^ 。



スピマザの取材を続けていて、御光や煙りのようなもの、オウブと云ったものはいつも撮れるわけではなく載せていいもの、悪しきものも伝えるべき事は伝えていくのが役目と考えていますので、必要なとき必要に応じて表われる現象であると私は思っております。



ひとは苦しみもがき、それでも生きたいと願い必死になっているものだと・・・。少しでも幸せを感じれるように神の恩恵を受けようとここに訪れへたどり着こうとするのだと思います。そのほかに、祓いたい業とか慾とか因縁を浄化させ明日から心機一転の気持ちでまた生きていこうとするのではないでしょうか。不思議に思うのは、願いを叶えるのが神の役目なのか?お布施やお賽銭の額によって願いを叶える度合いが違ってくるのか?神を信じない訳ではないですが疑問な部分があったりします。ただ、ここはブログとか個人の意見だけぶつけていくコーナーではないので尖った意見などは控えたいと思います。



伊勢信仰の中心となる神社であり、日本全国の神社で授与される神宮大麻は皇大神宮の神札である。天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ、天照大御神)を主祭神とし、天手力男神、万幡豊秋津姫命を相殿に祀る。三種の神器の一つの八咫鏡を神体とする。
太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)のひとつとされ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』は天照大神。別名・大日孁貴神 (おおひるめのむちのかみ)。『日本書紀』においては複数の神名が記載されているのに対し、『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されている。女神であるが、実は男神だったという説も在る。
ウィキペディア(Wikipedia)より
猿田彦神社

内宮をあとにしてタクシーに乗ったところ運転手さんが近くなのでもそこも行くといい・・・ということになり向かったのが猿田彦神社でした。猿田彦大神は天孫降臨の神話で活躍された神様と聞きます。背の高さは七尺(古代の尺度によれば2メートル余)、顔は赤く、鼻の長さは七咫(あた)(同70~80センチ)、目は赤カガチ(酸漿)、蛇の目、鏡などの解釈がある)のように輝く、異相の神だそうです。




交通安全・方位除けの守護神。子孫は宇治土公(うじつちぎみ)として伊勢神宮の要職を務めていたそで、宇治土公が猿田彦大神を私邸内に祀ったのが創祀。本殿は「さだひこ造り」と称して特殊な妻入造で欄干・鳥居に八角の柱を使っている独自の建築様式。縁結びの神でもあり、天宇受命(あめのうずめのみこと)を祀った佐瑠目(さるめ)神社は、芸能の神として人気が高い神社が、境内にあって、そこが縁結びの神様でありますが、こじんまりとしていて訪れる方の目を惹くわけでもなく小さな佇まいであることから目立ちませんが、知る人ぞ知る、超ご利益ありの神様だということです。
猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちび き”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。大神は天孫をおみち びきの後、伊勢の地を本拠として国土の開拓を指導され、垂仁天皇の御代に皇女倭姫命が神宮鎮座の地を求めて諸国を巡歴されたときに、大神の御裔(みすえ)の 大田命(おおたのみこと)が祖神、猿田彦大神と同じく御先導され、五十鈴川 の川上一帯の霊地を御献上、伊勢の神宮の御創建に尽くされました。大神の子 孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、以来、永く玉串大内人(たまくしおおうち んど)という特殊な職掌に任ぜられ、伊勢の神宮に奉仕してきました。大神の 御神徳を仰ぐ崇敬者は全国に広く、方位除、地祭、土地開発、開業、災除、家 業繁栄、交通安全、病気平癒、開運などの御祈祷が連日行われています。
猿田彦大神フォーラム







