木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)

パワースポットめぐり -京都(蚕ノ社駅)三柱鳥居の木嶋神社-
景教(キリスト教)の遺物説?ダビデの大闢(おおさけ)大神・秦 河勝
木嶋坐天照御魂神社
(このしまにますあまてるみむすびじんじゃ)
別名:木嶋神社(このしまじんじゃ)
京都府京都市右京区太秦森ヶ東町
本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから
【蚕の社(カイコノヤシロ)】の通称が広く知られている。
祭神:火明命
神社:天御中主命/大国魂神/穂々出見命/鵜茅葺不合命
祭神:保食神、木花咲耶姫、雄略天皇
秦の始皇帝の子孫か、ユダヤ人か、諸説あれども・・・

さて今回の京都パワースポット巡り、とても不思議なことが起きたのですが、そうですねキーワードは「突風」、「太陽」、「ネコしゃべる?」、「約3.5mの木枝が立つ」
これらは私が境内に入ってから起きた不可思議な現象でした。
ここは前回取材しました「太秦広隆寺」の隣駅・嵐電「蚕ノ社」です。アクセス方法は、駅を降りて道路沿いを40m程右に進むと、参道へつながる第一鳥居があります。参道と言いましても普通にある商店街のようですが、道沿いに進むと、右側にセブンイレブンがあり、正面左手に境内入口の鳥居が見えてきます。
この辺一帯は、朝鮮半島を経由して渡来した、【秦の始皇帝の子孫】である漢民族・秦氏が塚を築いたそうです。ただし秦の子孫と名乗ったと云う以外、何の根拠もないらしい。しかし「太秦広隆寺」のすぐ傍に【秦の始皇帝】を奉った「大酒神社」がある。
この鳥居を真上から見ると、正三角形でユダヤ教の紋章そのもの。そして織物で財を成した越後屋(三井)が、この神社を守り神として崇め、同じ形の三柱鳥居を江戸の屋敷内に造り、三囲神社(みめぐりじんじゃ)へ移す。三囲神社では、今でも三井グループによる祭典が手厚く行われ、三越の本店ならび店舗には、三囲神社の分神が祀られていると聞く。
どちらにしても、秦氏は日本に多大な影響を与えた民族と謂えます。
以前水に浸かっていた鳥居
枯渇してしまった跡境内を進むと、社殿の西「元糺の池」(もとただすのいけ)という池があるがあるが、いまは枯渇している。かつては湧水が豊富であったという。
その中に在りました。【三柱鳥居】。
柱が三本で三正面、上からの形は三角形となっている鳥居は珍しい存在であり京都三鳥居の一つとされている。これも起源不明ながら現存するものは天保2年(1831年)に再興されたものであるという。
これが、キリスト教、イスラム教では…、ユダヤの民では、という所以の鳥居です。

日本唯一の石造三柱鳥居、この鳥居の中心部に組石の神座があり、宇宙の中心とされ、主祭神の天御中主命の降臨する所である。雰囲気はとても神秘的です。
方向を線で示してみると「比叡山→松尾大社」と結ぶ線は「夏至の日の出」=「冬至の日の入り」の線にあたる。
この線上に「元糺」と「糺」の地がある。
「糺」の宮は「河合神社」(式内:【鴨川合坐小社宅神社】、下鴨神社の摂社で祭神は玉依姫命)、「元糺」は当神社であり「三柱鳥居」。
この鳥居は秦氏の神社である「松尾大社」、「稲荷大社」や「双ヶ丘」の遥拝と、京都の聖山とを結合させた太陽祭祀の意味が読みとれる。
【木嶋坐天照御魂神社】は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」の意味。
本来は【天火明命】またの名は【天照御魂神】を祀る神社で、「天照(アマテル)」とつく神社がほかにもいくつかあります。元々はそれぞれ当地の太陽神を祀っていた神社で、続日本紀などの国史には「木嶋」という名前は、原野に茂る木々の様が「木の島」のようであったからとされている。
三つ鳥居は大和三輪の大神神社や檜原神社が並べた形。これを折り畳めば三柱鳥居となる。いずれも太陽祭祀に関わる神社ということです。



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三柱鳥居を撮影していると、いきなり突風が吹いてきて辺りの木々がざわつきはじめる…、曇り気味だったいきなり空が晴れ間となった。風も止み木漏れ日が鳥居を照らすと、三毛猫が現れその鳥居を横切ろうとしている。鳥居の周囲は7~8m程で縁になっており、50~60㎝程段差で囲われている。猫は私から見て左側からソロリと降り、ゆっくりと鳥居を通り過ぎ、右側の縁を登ろうとしたときのことだった…
往きよいよくジャンプする瞬間「よっこいしっよ!」と、猫が言った。
正確には私の耳に「聞こえてきた」が正しいでしょうか?
確かにネコは喋るわけないです。「ゴハ~ン♪」と鳴くネコはいるみたいですが、鳴いたわけではなくその瞬間、その三毛猫は言った(聞こえてきた)のです。
画像クリックで拡大しばらく考えながら、「まさか」と思いつつ自分でもこの現象を思いだし笑いながら「さっ、撮影、撮影!」と次を急ぎ社へと向かいました。
しっかりと二礼二拍一礼で、撮影のご挨拶を済ませ、下がろうとした瞬間、“ガサガサ”、“ゴソッ”、“ガササ・・・”と、摂社として右隣に社を構える蚕養(こがい)神社の上から3~4m程ある木枝が落ちてきて、丁度真ん中に立った状態となりました。(画像参照・拡大)
天狗の仕業か、神の御怒りか、それとも何らかのご意志の表れか…残念ながらそれは先ほどの猫とは違い、伝わってきませんでしたが「しかりと取材させて頂きます」と更に深く、手を合わせ一礼。
ここはまさに異空間としか思えない空気に包まれた別世界に迷いこんできた感じがしてなりません。
さらに、境内西側にある稲荷社、末社群の入口(正面鳥居を入り左手に位置する)、そこから古墳の石室を利用している白清社、顕名神社・魂鎮神社が祀られている境内は、なにげに人を拒む雰囲気となります。三井のご先祖様が祀られるここの画像は入口しか載せないことにします。

秦氏は治水・機織のほか土木・交易・墾田・鋳造などの先端技術をもたらし、倭国の発展と産業の礎となった。
聖徳太子が憲法17条を創ったのち「秦河勝(はたかわかつ)の指揮で、楓野大堰に臨みて宿し、仮宮を峰岡の下に造る、日ならずして了る。」と記されている。「葛野大堰」築造後、大蔵大臣の役を受け、「兎豆麻佐」の称号を得た。
これが、後に「太秦」となったとされる。この後も秦氏は、史に残る長岡京や平安京の造成に、重要な役割を果たしていたらしいのです。
塚を築き、産業をもたらし、先住の統治者への敬意と友好的な姿勢。
ここに民を置き、形を変え信仰を失わぬよう貫き通した秦氏の叡智。いまも地名として残せた国家への貢献的なところなどは、現代を生きる日本人の中に組み込まれたひとつのDNAなのではないでしょうか…
秦氏がユダヤ教、あるいは元々ユダヤの民族が極東へ流れ辿り着いた果てに現在の日本に住むようになったのか…
中国の部族とも、朝鮮の部族とも諸説あり遠い昔のことなので定かではないが、これらの説もみな美しき誤解かな?
詳しい方に聞いてみると中国景教(ネストリウス教)とも呼ばれ、シリア教会の一派でキリスト教の三位一体を否定したために、異端として追放された後に、中国に流れ着いた、【大秦景教(だいしんけいきょう)】の影響を受けているとされる。
ユダヤの民族という説は
ユダヤでは…古来、中近東付近に住むユダヤ人を【ヤマトウ人】と称していたという。
【大和の民】日本人の持つ、民族的な気質などを「大和(ヤマト)魂」と称されるが、いまでも沖縄方言で「ヤマトゥ」は大和=本土、ちなみに沖縄は「ウチナー」。
【秦の始皇帝の一族】は、色白で、目が青いばかりか鼻も高く、まるで他の民族とは全く違う異人種のようであったそうです。
どちらにしても深い・・・
第二次世界大戦時のユダヤ人を救った日本人・樋口季一郎の話を思い出す…
樋口(陸軍少将)は秦 彦三郎(中将)と共に南ロシア、コーカサスを旅行して、チリフスでのこと、玩具屋のユダヤ人の老主人が、日本人であることを知るや襟を正して「日本の天皇こそ、我らの待望するメシアである」ユダヤ教におけるメシアはダビデの子孫という意味。と言ったとか…
ここでもなぜか「秦」という名が出てきた。
単なる偶然か「ユダヤ人」・「秦」・「日本」との関係性は果たして…。
仏教でも神道でも受け入れ、民族・宗教の隔たりをさほど感じない日本人をそんな風に見ていたのか、それも定かではありません。
繁栄をもたらせた彼らの貢献から、聖徳太子が贈ったものと知られる太秦広隆寺の本尊「弥勒菩薩像」が、秦氏の活躍を讃えるひとつの表れなのかも知れません。
ここはどこにでもある街並み、懐かしい風景と感じるでしょう・・・
「蚕ノ社」という駅名は地元京都の人なら、ご存知かと思いますが、木島神社はそれほど知られていない無名に近い場所のようですが、ある神社の宮司さんから聞いたお話では「古くからの由緒ある神社ですよ」とのこと…。その境内には幾つもの異空間を持ち、それぞれが何処かに通じている間違いなくパワースポットと云える場所ではないかと思います。
しかし、その地に住んでいる方たちが氏神様として大事に祀っていられる神社でありますから厳かに、御利益など期待するのではなく、本当の意味で宇宙などのパワーを感じられる、人の思考を超えた空間を感じたいと思う方に、行って頂きたいと存じます。
【ルーツ】を感じ、【光と影】にゾク・ゾクッとくる、そんな場所です。きっとスピリチュアルな人なら理解して頂けるのではないかと思います。
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