芝東照宮(東京・芝公園)

パワースポットめぐり -芝東照宮-
東京都港区芝公園4-8-10
芝東照宮は芝公園内の一角にある神社であり、もともと増上寺内の社殿にあったものが明治初期の神仏分離令によって切り離され現在の形となった。日光東照宮、久能山(くのうざん)東照宮、上野東照宮と並んで四大東照宮のひとつに数えられる。
祭神は徳川家康公。神体は彼自身が還暦を迎えた1601年(慶長6年)に記念に彫らせた等身大の「寿像」。
1633年(寛永10年)には三代将軍・家光によって新社殿が造られ8年後には豪奢な社殿が整ったが、1945年(昭和20年)の東京大空襲により「寿像」と神木の「大イチョウ」を残しすべて焼失してしまう。その後、1969年(昭和44年)に現存する社殿が再建された。東京都指定天然記念物として大切に保護されている大イチョウは徳川家光が植樹したと伝えられている。
増上寺、東京タワー、港区役所。
ダジャレではありませんが、これまでもしばしば足を運んでいる芝公園。
四大東照宮のひとつがこんな身近にあったとは知りませんでした。
東照宮といえば日光。スギ花粉にも負けず、いつか絶対に行く。
そう胸の内で固く決意していた私にある日、突然、舞い降りた東照宮参拝の機会。
え?栃木県じゃないの?
そんな声が聞こえてきますが、いいんです。
ここは徳川家康公の直々の命を受けたまぎれもない東照宮。
日光の前にまずはこちらにお参りするのがむしろ筋というものです。
「一人の神がかけた魔法」
徳川家康
知れば知るほど、底知れないナゾを秘めた人物。
織田信長、豊臣秀吉とともに「三大英傑」のひとりとして名を馳せ、戦乱の時代を制した江戸幕府の開祖。そして死後400年近く経った今もなお、東京の街を支配しているかのような生々しい存在感。
私が訪れた重要な寺社仏閣には、必ずと言っていいほど彼の逸話とその残像がチラつく。
「東照大権現」として自身が神格化され信仰を集めているという事実からも、その人間離れした超絶さを思い知らされます。すべてが規格外。あらゆる意味でノーボーダーなのです。
同じような人物として私には平将門が真っ先に浮かびますが、平将門が西洋的ハイパワーサイキックだとしたら、徳川家康は日本が誇る最高の陰陽師。
自分の力で確実に容赦なく敵にとどめを刺すのが、将門。
賢い蜘蛛を手なずけて精密に糸を張り巡らし未然に敵を封じるのが、家康。いずれにせよおそろしいことに変わりないですが、私のなかで両者はそんな好対照として存在します。
そんな家康公を祀った芝東照宮を訪れたのは、2011年の七草も過ぎた頃。
お正月ムードはさすがに消えてしまいましたが、普段よりも澄んだ空気が残響のように残っています。
地方へ帰省する人が多いお盆とお正月は、本当に東京の空気が一変します。
都心であればあるほど、街から人も車もすっかり消えてしまうのでなおさらのこと、都営三田線の芝公園駅を下車、地上に出るなり清々しい気分で深呼吸。近くにそびえる東京タワー、芝公園の緑も深く、眩しく輝いている気がします。
さて、意気揚々と駅から左方向へ歩き出しますがあっけないほどすぐに到着。その間、わずか1分。
気持ちの準備が間に合わずちょっとあせりますが、とにもかくにもやって来ました。
ここがナゾに満ちた徳川家康公の待ち受ける芝東照宮です!
参道脇にはライオンのように立派な狛犬様。そして駐車されたたくさんの乗用車。
・・・残念ながら車に情緒は感じられませんが、そこは都心の神社の哀しい運命。
土地の限られた港区内ですので致し方ありませんね。
鳥居をくぐって境内へと進んでいくと、なにやらモクモクと煙が立ちこめています。
なんだろう?と思い近づいてみると、お正月飾りのお炊き上げが行われていました。
松の内も過ぎたということを、こんな景色で感じられるのはとても贅沢なことですね。
暦とともに仲良く寄り添って歩んで行く風習が、ずっと変わらず残っているのが本当に素晴らしい。
日本人の四季のリズムは世界に誇れる文化だなぁと改めて強く思います。
と、感心している私の目の前には、一本の巨木。まさか。
そう、こちらがご神木の「大イチョウ」です。なんという迫力。
想像よりはるかに大きい!
季節が秋であれば、それはそれは見事な黄色で天空が覆われてしまうでしょう。
家光公が植えたのなら、おそらく樹齢は370年ほど。植樹祭の映像で目にするあの小枝のような苗木。それが、ここまで立派に、しかも戦火をくぐり抜けたことを思うと、無言のご神木には有無を言わせぬ説得力があります。
ご神木のある境内から、さらに一段上の場所に家康公の待つ本殿があり、ふと見上げると綺麗な寒中梅が咲いていることに気がつきました。可憐な白と、淡いピンク。暦の上では、もう春もすぐそこまでやってきています。
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス」。
そう人物像を評される家康公。これは単なるおだやかさではなく、計算しつくした策略と勝機があってこその自信。この方が漫然と待つなど到底ありえない話です。
そして今まさに、梅の花をゆったりと愛でながらも眼光鋭くこちらを見据えている彼の存在を感じます。温厚で知的な人柄の背後にある、研ぎ澄まされた高感度のアンテナと、冷酷なまでの観察眼。チェスをしたら最強にちがいない。
神様相手に不謹慎かと思われますが、第一印象はその一言。
私にとって「チェスが強そう」とは、考えうる最上の褒め言葉なのです。チェスの試合には「ジョーカー」的な要素と「魔術感」が絶対に不可欠です。ただのチカラ勝負ではかなわない。
うーん、このお方を敵に回したら、そりゃあ厄介だと思います。
勝てないというより、戦意そのものを奪われかねない。このヒヤリとする感触は、人間にとって、一番こわいと思う・・・家康公と渡り合ったほどの名高い武将たちがこれを感じていなかったはずはありません。でも戦うしかなかったんだ。それが戦国時代というものだったんだから。
彼がいなければその時代はなおも続いていたことを思うと、自然としみじみとした感謝の念を覚えました。当時の人々が彼を「神」と崇めたのも、自分たちの命の恩人だと心底思ったからでしょう。
平和と調和をもたらすもの。それが人々にとってはいつの時代も最高の神なのです。
日本の首都、東京。
徳川家康によってこの地に江戸幕府が創設されてから、400年余りが経ちました。
緻密に計算された寺社の配置、江戸城から「の」の字に伸ばされた河川、そして自らを祀る四大東照宮。
自身の死と、彼の遺志を受け継いだ子孫たちによってその完璧な計画は見事に完成されました。
彼の存在の「神」たるゆえんは、今日も発展を遂げるこの世界的な大都市が証明しています。
家康公の遺言には、
「遺体は久能山(久能山東照宮)におさめ、一周忌が過ぎたならば、日光山(日光東照宮)に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして八洲の鎮守となろう」と述べられています。
「八州の鎮守」とは、すなわち「日本全土の平和の守り神」のこと。
不動の北極星の方位にあたる日光から、日本の平和を守ろうとしたのです。
「神」になった一人の戦国武将が、人間として最期に心から願ったこと。
それは、戦のない平和な社会でした。
あまたの戦乱をかいくぐり勝ちつづけるなかで目にしてきた、悲惨な情景の数々。
戦の暗部を味わいつくした彼だからこそ、全力でこの国にかけることができた、平和という魔法。それがこれからも解けないことを祈りながら、そっと拝殿で手を合わせました。
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