333mの巨大鉄塔『東京タワー』

パワースポットめぐり -東京タワー-
東京のシンボルとして愛され続けてきたその存在感

1958年の開業以来、関東一円の電波塔としての責務を果たし、東京のシンボルとして愛され続けてきた333mの巨大な鉄塔。
東京タワーの正式名称は「日本電波塔」と言いますが、その設立には、産業経済新聞や日本航空を生み出したことでも知られる大実業家、前田久吉が携わりました。
彼は、建設するからには世界一でなければならない、と高さの意義を首尾一貫して強く主張しました。
それはけっして権力の誇示ではなく、三百年以上も前に57mを越える立派な五重塔を日本人が造り上げたことへの敬意、そして、今の日本の技術をもってすれば必ずや世界一の事業ができるはずだという強い信念と希望があったからです。
その想いは見事に果たされ、当時はパリのエッフェル塔を抜き世界一の高さを誇りました。
時は流れ、現在建設中の東京スカイツリーに「日本一高い建造物」の称号を譲った今でも、その存在感とパワーはまったく衰えることなく、今日も日本の首都を守っています。
かつて日本の持ちうるすべての力が注ぎ込まれたタワーの真下に入り込むと、まずはその建築物としての純然たる美しさに息を飲み、圧倒されます。
ズドンと自分の体の中心を何かが通り抜けるように感じ、鳥肌が立つほどの感動を覚えます。
それは、富士山を初めて間近で見た時の感覚に近いものがありました。
遠くからの美しさだけではわからない深淵な畏怖と、静かな恐怖心すら沸き上がってくるのです。
増上寺、芝の現在地へ・・・

そして、東京タワーを語る上で欠かせない存在が麓にある増上寺です。
浄土宗の大本山であり、徳川家の菩提寺として全国的に名高いこのお寺には、徳川将軍15代のうち6人が葬られています。
その墓地の一部を東京タワー建設の際に提供していることもあり、名実ともに大変繋がりが深い場所と言えます。
徳川家康は江戸城の拡張に伴い、増上寺をこの地へ移しました。
それは江戸の裏鬼門であるこの場所を抑え込める意図があったと伝えられています。
その為か、増上寺の脇道を抜けタワーに近づくほどに、下から強く突き上げるような力が増していくのがわかります。
じんじんと足の裏に響く力は、まるで脈打つ生き物のようにも感じられました。
東京に住んで10年以上が過ぎた今でも、私はまるで子供のように感嘆して東京タワーを見上げてしまいます。
初めて見た時の感動は、いまだに忘れられません。
どんなに落ち込んで辛いときも、嬉しくて笑顔がこぼれるときも、東京の空には、いつもこの大きな存在がありました。
たとえ世界一の称号を失っても、東京タワーはいつまでも変わらず東京のシンボルです。
地方の田舎で生まれ育ち、夢に胸をふくらませて単身上京した私にとって、日本人の夢と希望を半世紀近くに渡って体現し続けてきた「彼」は、いつも見守って勇気づけてくれる友人のように、特別で親密で、大切な存在なのです。
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